『我々は明日のジョーである!』
と言って逃げたテロリスト集団がありましたけれど、先週末のお祭り騒ぎを見るに
『俺たちの戦いはこれからだ!』
ってのは少年マンガの世界は打ち切りであって、セットのハシラで
『いままで応援ありがとうございました。次回作にご期待ください。』
ってのの繰り返ししてるだけだよなぁ… と。
「民主主義が死んだ!」
とまで書いた社説もありましたが、冗談じゃぁない。否定したいのは勝手ですが、そもそも公聴会どころか委員会すら開かず復興予算を人質に様々な法案を全く国会で審議すらせず成立させたり、内閣での審議ではなく中国や”かの国”にお伺いを立ててから方針を決定したりしてた民主党政権時代はどうだったんでしょう? あれこそ議会制民主主義の危機であったし、強権独裁そのものではなかったのか。
そしてマスコミも、敢えて言うなら戦前、戦中、そして戦後、たまさかドイツのように解体解散させられなかっただけだったのに、尚も自らを省みる事もなく、自己批判もせず、自己検証もせず、我儘勝手にやりたい放題を積み重ねての約70年が間違いだったというのではなく、国民の戦後全てが間違いであったとでも言わんばかりの論調には反吐が出る。
「この先、キチンと運営されるか監視しなければ!」
って阿呆ですよねぇ… 特定の政策、法律に限らず、自らが選んだ代表としての議員だけでなく国家運営について注視し考え、時にチェックをするのは国民の義務であり投票をした責任ですがな。
もうちょっと言うならば… 別に中国や韓国の肩を持つ気はあんまり無いんですけど、それでも規模から言えばクオリティペーパークラスの新聞やテレビで
「国民の知る権利がッ!」
「軍靴の足音がッ!」
「まさに戦前の治安維持法の如き悪の法がッ!」
とヒステリックに叫ぶお祭り騒ぎをしていたらいい気はしないだろうに… 先の太平洋戦争にしても国民と軍部を煽りに煽った事への反省がマスコミに少しでもあるのならば。従軍慰安婦問題をはじめとして捏造してまで自国のみならず周辺地域への混乱と不信を植えつける様こそ、左翼陣営は批判すべきではないのか。
しかるに、今回は特に顕著だったけど、やった事はかつての週刊少年漫画と似たような程度であった。次々に登場する強敵のインフレーションの末の化物は、目先の派手さだけを無理筋に繋げた結果、あまりに粗雑で荒唐無稽に過ぎたが故に大衆っか日本国民の支持が得られなかった。そう、最早時代は6、70年代ではないのだ。相対主義が陥りがちなニヒリズムを通過した先の”世界”への対峙する個がテーマにもある『ONE PIECE』や『暗殺教室』などが支持されるのが現代なんですけどね…
自分らの思い通りにならないからといって否定や暴力やテロを煽るような存在こそ質され、糺されるべきでしょうが…勿論、戦後約70年が全て正しかったとは言わない。だけど当時の世界情勢を鑑みてそれでも間違いであった、と断罪出来る事がどれだけあるのか? 翻って自らの行動、運動は何もかも正しくたった1つの誤りも無かったのか? 例え数多の間違いがあったとしても、しかし己が身も心も灰の一欠も残らぬ程に真っ白に燃え尽きて構わぬ程の理想 に対する情熱があったのか? 『あしたのジョー』で言うならば、矢吹丈も、力石徹も、言い訳も責任転換もしていないんだけど、ねぇ…
かつて左翼はインテリって言わせてたけど嘘じゃん。ただ大衆を見下すだけなのはインテリたぁ言わんよ。
…と、
かつて2013年12月に書いてたけど、今も殆ど言いたい事は変らない.っか、むしろ情況は劣化してんるんじゃぁ…